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奈良地方裁判所 昭和36年(わ)59号 判決 1961年10月05日

被告人 日山栄司

昭一三・八・七生 土工

主文

被告人を死刑に処する。

領置にかゝる女持腕時計一個(証第三号)はこれを被害者平井静子の相続人に還付する。

理由

被告人は幼少のころから盗癖を有し、稍長じて人吉中等少年院、大分少年院、福岡特別少年院等に入院したことがあつたが、昭和三十四年二月五日福岡高等裁判所において窃盗罪により懲役一年に処せられ三年間右刑の執行を猶予せられ、後に右猶予を取消され、昭和三十四年六月三十日佐賀地方裁判所において窃盗詐欺銃砲刀剣類等所持取締法違反罪により懲役六月に処せられ当時何れも右刑の執行を受け終つたものであるが、些細な事件のため郷里に居辛くなり大阪に来り更にかつて天理教の修養科生として天理市に在住したことがあつたのでその縁故から、土工として働かんとして天理市に来たものであるところ

第一、昭和三十六年二月二十二日午後七時前頃奈良県天理市三島下四条三百六十九番地古物商崔三成方において、同人所有の銅電線切端一貫三百匁(時価九百十円位)を窃取し

第二、同日午後七時過頃同市三島下四条三百七十五番地古物商原田潤昌こと李泰来方において同人所有の現金約七千五百円在中の木製銭箱一個を窃取し

第三、右同日夜同市川原城町三百五十五番地旅館「喜楽荘」こと服部喜太郎方へ同市川原城新道一丁目三百四十番地小料理店「羽衣」の接待婦平井静子(当時三十二年)と共に宿泊に行つたが、翌二十三日午前六時頃右「喜楽荘」二階四畳半の間において同衾中、同女がこんな生活する位なら死にたいといつたことから被告人は両手で同女の頸をしめたところ同女が「そんなことしてもようしきらぬのに」といつたことにカツとなり本当に殺してしまえという気になり殺意を以て同女の頸部を附近に有合せた腰紐(証第一号)にて巻き両手にてこれを締めつけ因て右静子を頸部絞窄によりその場に窒息死させて殺害し

第四、その直後同所を逃走するに際し同部屋においてあつた右平井静子所有の女持腕時計一個(証第三号)を窃取し

第五、右犯行後逃走し郷里に帰ろうとしたが、その途中姫路、広島等にて遊び、所持金を使い果し、鉄道路線つたいに西へ向つたが同月二十八日午後二時頃山口県徳山市大字戸田五千三百十二番地の三石田国実(当時六十年)方の前にたどりつき右家の前に踞つていた同人に水を乞うて飲んだが次で一飯の恵を乞うたところ貧窮の故を以て拒絶せられ、甚だ立腹していた折柄郵便集配人が右石田方へ書留郵便を配達に来たので同人は印鑑を取出して来て郵便を受取つたが、集配人が立去つた後被告人はその内容を聞き送金通知書なることを知り、附近に人影なきを見突嗟に同人を殺害して之を強奪せんことを決意し直ちに手近にあり合せた長さ約九十三糎直径約四・八糎の丸棒(証第六号)を右手に取り上げ矢庭に石田国実の背後からその右側頭部目蒐けて強打し、同人がその場に昏倒するや、これを抱えて同人方部屋の中へ入れ頭部へ毛布を覆せた上長さ約九・五糎幅約九・五糎の角材(証第四号)にて右石田国実の頭部を数回乱打し、因て同人に頭部挫裂創及び陥没骨折等を負わせ、脳室内出血を伴う脳挫創によりその場に死亡させて殺害の上、同人所有の額面八千三百三十四円の国庫金送金通知書(いわゆる金券)(証第八号)在中の書留封書及び石田国実と刻せる印鑑一個を強取してその場を逃走し

たものである。

(証拠)(略)

弁護人は被告人は犯行当時精神上の欠陥があつたのではないかと主張するが鑑定人医師大沢安秀の鑑定書によると何等精神上の異状のないことが認められるから右主張は採用しない。

法律に照すに、被告人の所為中判示第一、第二、及び第四の点は各刑法第二百三十五条に判示第三の点は同法第百九十九条に該当するから後者につき有期懲役刑を選択し前示前科があるから同法第五十六条第五十七条により累犯加重をし、後者につき同法第十四条の制限に従い、判示第五の点は同法第二百四十条後段に該当するところ犯人の年齢前歴、前科、性格犯罪の重大性、犯罪後の情況を考え所定刑中死刑を選択し、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるが同法第四十六条第一項により他の刑を科せず被告人を死刑に処すべく、押収の女持腕時計一個(証第三号)は判示第四の賍物で被害者に還付すべき理由が明らかであるから刑事訴訟法第三百四十七条第一項により被害者平井静子の相続人に還付し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項但書に則り被告人に負担させないこととする。

よつて主文の通り判決する。

(裁判官 辻彦一 西村四郎 高橋金次郎)

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